这都要上纲到去平评价两位大师的人品吗? 呵呵,不必吧。
都对,对外限制,对内促进。
至于为什么发展起来,产业政策起到什么作用,有兴趣看看日本人怎么说类似的的事情吧。这个问题,比较同意日本人说的。比较客观的感觉。
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1952年に実施した通産省の外資制限に対し、欧米諸国はいったいどのような対応を取ったのだろうか。まず、欧米自動車メーカーが日本の自動車市場がそれほど伸びるとは思っていなかったことは事実である。アメリカ車はその国土の広さゆえに大型車中心になって、とても日本の当時の道路事情には合わず、比較的小型車が多いヨーロッパの自動車メーカーも、遠い日本への完成車輸出はリスクが大きく、製造ライセンスの供与で満足していた。アメリカビッグスリーも日本への輸出を全然考えなかったわけではないが、その資金力でもっていつでも買収できると思っていた節があり、1960年をすぎる頃から資本自由化の圧力はかけたが、輸出を自前でやるのは販売網の展開に金がかかりすぎると判断したのである。
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さて日本における戦後の自動車産業政策が本格的に始まるのは、“国民車構想”が提唱される1955年以降のことである。
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そんなわけで通産省の政策と欧米メーカーの日本市場軽視が結果的に絡み合って、発展期に入るまでの日本の自動車産業は、外資や外国車の脅威に直接さらされることなく推移してきたのである。完全な保護貿易の壁に守られて、倒産寸前までいったトヨタ、日産など着実に日本メーカーは力を蓄えていった。もし恐い外国車が入ってくれば、たちまちトヨタ、日産といえども消し飛んでしまった時代である。この頃から通産省は“自動車のパパ”といわれるようになった。
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http://ryukoku.net/tmmazu/hanaoka-soturon.htm